太朗

October 1, 2017

エイ出版から出ているWILLDERNESSという雑誌で、スノーボード界のレジェンド玉井太朗を撮って、インタビューし、書いた。なぜレジェンドを玉井太朗と呼び捨てにするかというと、それは以下のような事情による。

 

 

 

午前6時50分、羽田空港を発った時には29℃あった大気の温度は、午前9時45分、

玉井太朗との待ち合わせ場所であるJR函館線小樽駅のホームに降り立った時16℃になっていた。

彼とは、実に32年ぶりの再会になる。32年前、僕は東京都新宿区にある大学に通っていて、

いつも学校から帰り道一軒のカフェに立ち寄っていた。太朗はそのカフェのオーナーの息子で、時々ふらりと店先に顔を出しては、サーフィンの話やスノーボードの話をしてしばらく時間を潰し、いつの間にか姿を消していた。

僕は19歳で彼も19歳だった。同い年の玉井太朗は僕にとって「かっこいい奴」だった。

ルックスもよく、スタイルもよく、性格も良かった。

でも、それらの要素は彼のかっこよさの一部として重要だったが、僕が彼をかっこいいと思う一番の理由はそこではなかった。(まあ確かに、太朗が背の低い小太りな男だったら、そんな風には思わなかっただろうけれど)

彼はいつも自由だった。19歳、もちろん誰だって19歳の時はそれなりに自由だ。僕もたぶん人並以上には自由だった。でも太朗の周りに漂う自由さは、僕の周りに在るそれとは根本的に異なっているように感じられた。漠然とした表現になってしまうが、彼は何にも捉われず、何にも捕まっていない感じがした。

その後、僕は大学を出るとバックパッカーとして中米に渡り自由を探し、しばらく経ってからカメラマンの道を進むことにした。

時折聞こえてくる風の噂によると、太朗はその後世界を飛び回り、とんでもない斜面を滑り続け、日本におけるスノーボードの第一人者のような存在になっているらしかった。

そう言えば、彼と知り合って1年後のある夏の日、一度だけサーフィンに連れて行ってもらったことがある。結局その日一日海の中にいて、僕は湘南の波の上に一度も立てなかった。それ以後一度もボードというものの上に立ったことがない。

 

(記事より抜粋)

 

 

 

太朗の話は濃厚で、示唆に富んでいる。若い人にも読んでほしいし、老いた人にも読んでほしい。もし本屋さんで見かけたら、ページを開いてみてください。

https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/wilderness-b-446311/

 

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